理想の選挙

英国の国民投票でEU離脱が決まった。歓喜する離脱派の姿を見て、後悔するんじゃないかと思っていたら、案の定、事の重大さに気づいて投票のやり直しを求める声も出ているという。投票結果が出た後で「EUって何だ」との検索が急増したというから、世界を混乱に巻き込んでいる割には無責任な話だ。

 国民投票に持ち込んだキャメロン首相は、国民に問う以上は、もっとその意味を啓蒙すべきだった。そうした判断や議論をするために議員がいるのであって、国民投票は一見民主的なようでも議会制民主主義に反するものだと言える。議会制にはそれだけの長年の知恵が反映されている。今回のことで議会制民主主義の良さが際立った。

 国会の外で声高に叫ぶ一団も、「声が大きい団体に従え」というのなら議会制民主主義に反する。その意味で右翼の街宣カーを連想させる。旧態依然として変わらない社会をなんとか変えようという熱意は分かるが、やみくもに既成のルールを破るというのは、二二六事件と同じだ。そんなテロを許し、政治家を萎縮させたのが日本の破滅への入口だったことを考えれば、自己陶酔に手段を選ばずということに危険性を感じる。

 国民投票に話を戻すと、意味が分からずに煽動された者を排除するために、「本当に分かっているのか」投票時にチェックすればよかったのではないか。私の職業柄、経験や技術力を要する仕事の入札では、入札に参加するための資格審査(技術審査)に違和感はない。投票は「札」の意味が違うが、意見を国政に反映するための資格を問う理解度テストがあって然るべきだと思う。

 選挙の場合の資格は年齢で、それが18才に引き下げられたことが話題になっている。そもそも20才を成人とすることは、元々根拠が薄いという話を聞いたことがある。世界の趨勢とはいえ18才に委ねて大丈夫なのか、という声もあるが、年齢ではなく理解度テストのような資格審査があればその不安も解消される。逆に、年を重ねれば分別がつくというが、痴呆の問題もあり、こちらも資格審査で不安が解消される。

 ただし、一事を問う国民投票と異なり、争点の多い、人を選ぶ選挙の場合の理解度テストとはなんなのか、悩ましい。いろいろ想像してみるのも頭の体操にはなる。いずれにしろ制度化されれば、テストに関する不信感とか不正疑惑とかが、またぞろ出てくるのだろう。

EU離脱もそうだが、大阪都構想など、全体の投票結果と年代別の集計結果が逆転する場合も、前者を優先させていいものかと思う。つまり、長い年月にわたって影響するような政策は、その影響を多く受ける若年層こそ当事者なので、その意見を優先すべきではないか。得票率に、影響を受ける年数で重みづけをして集計するのが合理的に思える。10年しか関係ない世代より、50年影響を受ける世代の票は5倍にして集計するわけである。

 ここで問題となるのは、影響を受ける年数というのが各人の余命次第なので、神のみぞ知るということである。平均余命と仮定するしかない。将来AIが発達して、そういう予測計算が厳密にできるようになったとして、自分の投じた票の重み(影響を受ける年数)がゼロとなっていると知ったら、それも怖い。 

(2016.7.3)


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