男にとってお産というのは異次元の世界だ。この世の誰もが確実に通ってきたのだが、遠い記憶の闇の中。それでも最近は、エコーによる胎児のリアルな映像など、断片的には情報が漏れ伝わってくる。病院では新生児の授乳量を測っているというので、あの微細な母乳の流量を計測するのだと思い、医療のハイテクもここまで来たかと感心したら、赤ん坊の体重を量るのだという。なんのことはない、トラックの荷物の重量を量るのに、トラックごと測定し風袋を引くのと同じ原理だ。
ところで、最近はエコ・ブームを受けてか、ナチュラルなお産を指向する風潮もあるという。男にとっては、一頃流行った「夫立ち会い」(私、ヒーヒーフーやりました)からさらに進み、積極的に手伝わされる「アクティブ・バース」というのもあるそうだ。ナチュラルというのは、病院での規格化された器具漬け・薬漬けのお産への反発から、極端には自宅出産などの自然体の出産への回帰を指している。出産体位自由という、「フリースタイル」というのもある(語感はちょっと最近のスポーツ風だ)。ただし病院では、体位固定、赤ん坊は生まれてすぐに隔離され、大人はマスクして目しか見せず、決められた時間に授乳するというので、これも確かに異様ではある。
最新式の集中治療室のようなLDRという言葉を覚えたと思ったら、もはや陳腐なのだそうだ。病院の中には独自の流儀に頑なにこだわる所もあるようだが、出産経験のない医師の限界というものもあるだろう。生後一カ月ともかく体重さえ増やせばよいと思っている医者とか、分娩時にやたら「切り込み」を入れたがるせっかちな医者、錆びた器具やカビのこびりついた保温器、金属器のミルトン消毒(明らかな誤用)、当直なのに酒と睡眠薬で熟睡する院長などの話も聞く。「完全看護」の実態が、高卒の茶髪のおねえさん一人だったり。それでもよくよく内情を知らないと、医者の当たりの良さと施設のきれいさなどにつられてしまう。「間違いだらけのクルマ選び」にあやかり「間違いだらけの産院選び」という本ができそうだ。
もっとも、ナチュラルといってもそれなりの自覚や準備が必要で、何よりもメンタルな面が大きい。一種、新興宗教のような面もある。妊婦はレバーで鉄分を補給すべし、という常識も、環境問題から必ずしも正しくなくなっており、栄養満点のはずの牛乳やミルクも、同じく案外危ないという話もある。そこで、授乳行為の母子へのメンタルな意義も含め、母乳の見直しも言われている。人間の赤ん坊をなんで人間の乳で育てないのか、という古い議論がよみがえってくる。
母親の胎内から出たら外界は苦難の連続、これを母外災務(ボガイサイム)という・・・わけ、ないか。