だから何なの(無意味な数)

 新型コロナの毎日の感染者数の公表が絶えて久しい。あの頃は人数の増減に一喜一憂したが、そもそも何人が検査した上での陽性判明だったのか、その情報が欠けているのが疑問だった。つまり、割合を知るための分母を伝えない。もっとも、新型コロナの出始めの頃に比べれば、それなりに症状が知れ渡って、かなり自覚をもって検査を受けるようになったから、分母が分かっても深刻さの参考にならないかもしれない。

 同様の例で、予備校のCMで「合格者数が過去最多!」というのを見かけた。こちらは多いほど目出度い数字なのだろうが、そもそも予備校への入学者数を増やした結果に過ぎないのかもしれない。極端な話、生徒1人だけの予備校があって、合格すれば100%の合格率で、「合格者数が過去最多」の予備校よりも優れているかもしれない。合格者数ゼロというのは明らかにまずいが、そう考えると、合格者数だけ見て意味があるのは、ゼロか1以上か ということだけとなる。

 宝くじ売り場の「当たりがよく出ます!」という宣伝も、同じく怪しい。何枚売った中での当たり数と言ってこそ意味がある。ジャンボ宝くじなどは、何千枚をユニットとして、その中に必ず1等が含まれているそうで、人気の売り場ではその何千枚を売りさばくから必ず1等があるのだという。「1等が出ました」という宣伝につられてさらに買う人が増えれば、「何年連続1等出ました」というのは特別でも何でもない。販売数の少ない売店には1等くじがない可能性もある、と思いがちだが、その売店に1等くじがあろうがなかろうが、1等くじに巡り合う確率には関係ない。冷静になりましょう。

 もっと訳が分からないのが、ルービックキューブの世界新記録とニュースだ(大丈夫か、NHK)。「ついに何秒台!」といっても、そもそもキューブの崩し方によっては、難易度が変わってくる。極端な話、1面を90°だけ回した状態なら、誰でも瞬間にそろえられるが、誰も驚かないだろう。それなら最低何手以上回したものからスタートするといっても、1面を4回90°回したら元に戻ることもあって、崩す手数と難度は比例しない。

 ルービックキューブを考えた数学者のルービック先生は、「群論」の教材として考えたというが、当時大学生だった私は、まさに「群論」の授業で「何のこっちゃ」と理解に苦しんでいたところをルービックキューブに助けられた。ルービック先生の意図を最も理解できた一人だと自負している。一般的な「群論」の例としては、数の「かけ算」があるのだが、「かける」といった操作には、その順番で答えが変わってくるようなものがありうる と言われてもイメージできなかった。ルービックキューブでは、隣り合う2面A,Bを回す操作の順番を変えると結果が変わってくる(「Aを回してからBを回す」のと、「Bを回してからAを回す」ので結果が違う)。

 当時は、このことを手掛かりに、一続きの操作手順ごとにその効果を調べ、それを組合わせることで ルービックキューブの解法 にたどり着いた。その後、マス数を増やした亜流が出てきたが、この考え方が通用した。そういう人間にとって、「何秒でできた」と自慢しているのは「何のこっちゃ」と理解に苦しむ。

 (2023.6.30)


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