奇術と著作権

  奇術(マジック)をやっていると、奇術のタネにも著作権や特許というのはあるのですかと聞かれることがある。心ある人は、奇術の解説文を書くときにその奇術の作者名を書き添えるが、特許のように登録する制度はない。

  本にしろテレビ番組にしろ、タネ明かしをする権利というのはどうもあいまいだ。とはいえ、奇術の面白さには現象の面白さと共にタネの面白さというものもあり、二面性を紹介しなければ、紹介にならない。(本ホームページもその辺に苦心しているところです)さらに言うと、解説なりレビューなり翻訳なりも、説明の方法自体にもオリジナリティというのがいくばくかあるわけで、ややっこしい。

  もっとも、奇術のタネといっても、古くからのアイデアのアレンジが多い。当人が意識する・しないにかかわらず、過去の奇術から有形無形の影響は受けている。また、全く新規のアイデアというものがあったとしても、実際に面白く見せるには、ディテールの工夫とか、その人その場に合った演出とかが必要で、そうした混然としたものが芸というものなのだろう。テレビのタネ明かしを営業妨害だという奇術師は、タネ明かしで底が知れる程度の芸しかないということになる。

  些細な思いつきにオリジナリティを主張する人もいれば、埃をかぶった奇術に巧みなアレンジを加えて称賛される人もいる。創作者を保護し労に報いることは必要ながら、やたらと権利や秘匿をやかましく言うのは、結局は奇術全体の発展を阻害するのではないか。

 ところで、「以前に読んだものを意識の上では忘れてしまい、そのアイデアが自分の作品の中に出てしまう怖れ」というものは、アイザック・アシモフ最後の作品集「ゴールド」(早川書房)のエッセイにも触れられている。かのアシモフでも、たまたま小説のアイデアが似てしまうことは悪夢として怖れているのだという。(誓って言うが、上記の文章は「ゴールド」を読む前に書いたものです)


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