くみがみ騒動

 私は自作のペーパークラフトを「くみがみ」と名付け、本ホームページでも紹介しているが(と言うか、そのためにホームページを立ち上げたようなものだが)、今年(2013年)にはいってひと悶着あった。

 一連のくみがみシリーズの中の一つについて、自分の創案であると主張し、私の盗作を疑わせるように言う御仁が現れたのだ。

 このテのアイデアは、正多面体をいじくり回す中で金鉱を発掘するようなもので、誰でも思いつきそうだと思っていたので、先陣争いに関心はないのだが、盗作というのは穏やかでない。

 私の出発点は、パズルや幾何学とは全く関係ない、カードマジックの「エルムズレイカウント」「ジョーダンカウント」という技法で変化するカードの順番の関係(周期性)を表現する線図からだった。四角形と三角形で構成されるこの線図を立体で表すことを思いつき、その骨組みを考えていく中で、記念すべきくみがみシリーズ第1号、「EJブロック」に行きついた。

 これは立体の骨組みを作るのに、切り出した厚紙を組み合わせて形が保たれるようにしたもので、面白がっていろいろ工夫する中で、様々なバリエーションが生まれた。紙を立体的に組み合わせることが本質的なので、折り紙に対して「組み紙」と名付けた。一連の作品は冊子にし、また高木重朗先生はじめ近しい方々にその都度発表していた。それが1976年のことだ。

 その後、高木先生を通じてパズル研究家の芦ヶ原伸之氏にも伝わって評価していただき、著書の「パズルをつくる」(大月書店刊 1984年)で紹介していただいた。さらに、芦ヶ原さんが監修した実教出版の教科書「高校数学B」平成6年にも紹介され、製本された見本刷りまでいただいた。そのさい、「ハマノズペーパーキューブ」と名付けられたが、これは編集側の命名で、私は関知していない。

 今回問題となったのがこの「ハマノズペーパーキューブ」で、同様のパズルを考案した人が現れて、同書の記述が変更になっていた。罪作りだったのはこのときの出版社の対応で、土壇場で変更になった事実も経緯も私には知らされていなかった。そのため、反論をすることもなく、私が他人の作品に無断で自分の名前を冠して出版社に売り込んだかのように思われることになってしまった。

 出版社の対応ミスに関しては、今回の発覚を受けて担当編集部に質問したところ、全面的に非を認めていただいた。

 そもそも作品を公表していればよかったのだが、学生であった私には発表するスベも知らず、自分のオリジナルといえるのかどうか調べようもなかった。おりしも、くみがみ考案の1976年夏には日本初の国際的奇術大会といえるPCAM大会が帝国ホテルで4日間にわたって開かれ私も参加したが、そこにはパズル界の大御所であるマーチン・ガードナー氏も来ているという噂もあり、運よくお会いできたら自作のくみがみを紹介しようかという思いもあった。「サイエンティフィック・アメリカン」誌(邦訳は日経「サイエンス」)に当時連載中だったガードナー氏の有名なコラムで取り上げられたら・・・などと夢想したものだが、そんな度胸はなかった。

 それから21年後、ウェブという恰好の発表の場を得て、個人のホームページ開設と同時にくみがみのコーナーを設けた。その直後、見ず知らずの学校の先生から、自分の授業で教材に使いたいというメールをもらい、快諾した記憶がある。今回の御仁も教育関係者で、自作を教育関係の研究誌だかに紹介したのを私が見たのではないかといぶかっているそうだが、逆の可能性もある。

 私がそうした詮索や先陣争いに関心がないのは、くみがみを考えた時に、金鉱を発見したような人生最大のワクワク感を味わったことで満足しているからだ。くみがみは、設計図通りに切り出したピースを組み合わせるというパズルだが、実はその設計を応用展開して新たな形を考えていくところが(自然が仕組んだ)パズルなのだ。次々とバリエーションが見つけたときは実にエキサイティングで、まさしく金脈という感じだった。教科書に載せるのも、その醍醐味まで導ける紹介ができればよかったのに、と思う。

 それにしても、今回、論議からは全くの蚊帳の外だった私に状況を伝えていただき、私の立場を擁護していただいた小岩奇術愛好会の滝沢清氏には感謝の限りである。世の中、ちゃんと見ていてくださる方もいるのだと、たいへんありがたく、心強かった。

(2013.4.29)


くみがみ博物館

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