正と優一

 世界をかき回しているトランプ大統領の登場は、グローバル化を叫んで社会の格差を拡げすぎた風潮の反動の表れだという見方がある。

 反動は、我こそ正義だと唱える宗教的組織や国家から始まり、韓国、そして穏健なはずの欧米まで拡がりつつある。そこには、何でも平等であるべしということを金科玉条とするあまりに、保守的な考えを逆差別し、言いたいことが言えない流れが過ぎたのだという。何ごとにもガス抜きの「ベント」は備えておくべきということか。

 ところで、脚本家遊川和彦氏の初監督映画「恋妻家宮本」を家内と観た。ほぼ同世代の夫婦が描かれ、大いに共感し、「不安をもったり悩んでいるのは皆同じ」と、大いに楽しめた。「正(ただし)と優一」というのも、市井の人生の中で幾つも迫られる選択肢の一つで、本作の主題をも暗示している。

 その主題を拡げると、先のぎすぎすした社会の流れにも関係するなぁ、と思ったら、実は監督も「正義と正義のぶつかり合いになっている社会に異議を唱える」という意図があったと知った。

 私も主人公のように優柔不断でそれを欠点と思っていたのだが、「優」の字は「優しさ」でもあると、映画に励まされた。いわゆる「正論」は、長い目で見て正解なのか。優しさを見直すべきではないか。個人も、社会も、国も。

(2017.2.13)


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