いつの間にか・・・

 ケータイのCMでスーパージェッターを見て懐かしい思いをしているのは私だけではないと思う。言われて見れば、なるほど、かつて想像していた未来に足を踏み入れている。

 時代の移り変わりと共にいつの間にか姿を消しているものがある。例えば「洋半紙」。子供の頃から更紙(ザラガミ。これも死語か?)に対する「白い紙」としてありふれたものだった。私は今でもフリーの「原稿用紙」として愛用し、50枚のパックを大事に使ってきたのだが、何年ぶりかで買い足そうとしたところ、文房具店にもデパートにもない。デパートでは洋半紙という言葉すら通じなかったのには、いささかショックだった。

 今やコピーやプリンタの時代。500枚単位の「コピー用紙」ならあるという。手書きではとても使い切れないとは思いつつ、渋々買い求めた。折り込み広告の裏を大事に使っていた世代としては、こんな具合だから紙を気安く大量に消費してゴミ問題を起こしているのではないかと思ってしまう。

 もう一つ、アルバムも様変りしている。少し前までは、「ふえる」アルバムが町中の写真屋やら地下街やらその辺でごろごろ置いてあったものだが、電子化の波に追われたものか、気が付いたら姿が全く見えない。天下の伊東屋に最後の望みを託したが、上品なアルバムがあるだけ。

 写真の電子化のメリットは分かる。整理や検索が容易だし、紙資源の節約を通じて環境保護に貢献し、さらには省スペースにより、人口増加に伴う居住空間の減少にも対応している。いいことづくめだが、それでも紙のアルバムの重みは捨てがたい。

 さきの洋半紙の話も、パソコンやワープロで文を書き絵を描く時代の反映。文書の電子化のメリットも分かる。ただ個人的には(仕事で長年コンピュータソフトを作ってきた身として)苦労して作ったプログラムがハードディスクのクラッシュにより一瞬でふいになった苦い経験から、基本的に電子媒体を信用していない。大事な記録も、磁力を浴びたり、電気がこなければゴミと化す。記録としてはどこか頼りない。紙なり物なりで残す良さを訴えたい ・・・のだが、それを電子媒体で言っても説得力がないか。 (2001.1.1)


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