「不要不急」な話・2

 新型コロナウィルス感染の拡がりが収まらない。というか、「収まる」とはどういう状態か。1か月前、「東京では感染者にもなかなか会えない」と言ったが、そうでもなくなった。いろいろ考えさせられる。

・日々の「感染者数」

 連日、その日の感染者数が速報されるが、検査総数や重症度と合わせて見ないと意味がない。と同時に、時間を追っての変化傾向が大事だ。その辺は報道各局でいろいろ工夫しているが、いまだに「本日何人」とセンセーショナルに報道されるのは違和感がある。

 久しぶりに自分が新入社員の時に受けた社内研修を思い出した。会社や部署の計数(生産額等)の説明の後、「この他に重要な項目があるが、分かるか」と問われ、分からずにいると、まさに「時間を追った変化」だという。理系の自分にとって、どの計数項目も、時間を追ったグラフをイメージしていたので、文系の講師の考え方が新鮮だった。実社会では、意識しないと時間変化は見落とされるのだという教訓。

・「陽性率」の操作?

 感染者数だけではなく検査総数で割った陽性率が大事だと思っていたが、それでも不十分だという。検査にあたり、感染の疑いが高い者に絞っているのだから、その絞り方によって「陽性率」はいくらでも操作できるというのだ。

 東京都知事が発表した陽性率がある日から突然増えたのが不自然だという「陰謀論」だが、都知事が発表した動画が後で削除されたというあたり、真実味がある。再選されたばかりの小池知事については、学歴詐称疑惑とか、一期の7つの公約が何一つ実現できなかったことの釈明がないこと、隔離用のホテル契約を継続しなかったことなど、いささか信用できない。

・PCR検査の大いなる誤解?

 PCR検査そのものが、新型コロナウィルス(と名付けられている症状の病原体)を特定するものではないという、大前提をひっくり返す指摘も出てきている(徳島大学の大橋眞名誉教授[1])。いわく、武漢の患者の遺伝子を新型コロナウィルスと定義したものの、それが肺炎の原因だったか怪しいのだという。PCR法では無害な常在ウィルスも検出され、そもそもPCR法の開発者自身が「感染症の判定に使うべきでない」と言っているそうだ。

 [1] https://www.youtube.com/watch?v=BWaTRFYy2kY

・インフルエンサー

 著名人のSNSへの意見表明の是非論が持ち上がり、表現の自由という正論が支持されている。これに反対するのは分が悪いが、多分ポピュリズム(大衆迎合主義)の弊害を怖れてのことと想像する。世論への影響が大きいいわゆるインフルエンサーは、そのことを自覚して、よく勉強して発言に責任をもつべきだ。

 話題になった「検察庁法改正案」でも、そもそも検察トップの任命権は元々内閣にあるという基本を分かって批判しているのか、怪しい。ワーワー騒ぐだけのマスコミやネットの受け売りなら、「自分なりに勉強した」とはおこがましい。世論形成の片棒という点では、世論誘導が巧みだったナチスの宣伝役と変わりない。

 と、偉そうに言う自分もマスコミに載せられた一人として反省しているが、幸いインフルエンサーでないので気楽だ。初めてインフルエンサーという言葉を聞いたときにインフルエンザみたいだと思ったが、こうなるとインフルエンサーはあえて「感染拡大元」と訳したくなる。

 発信の自由を認める前提として、受信側もその発信を鵜呑みにしない自覚・見識が必要ということだろう。

・ポピュリズム

 そのポピュリズムについて。ポピュリズムは感情論に走りがちであり、過去の戦争の引き金や泥沼化の原因となってきた。コロナ対策は戦争に例えられるが、そうであるなら、ポピュリズム大国の米国で被害が甚大で、対極にある(世論が圧殺される)中国で被害が抑えられたのは、当然に思えてくる。

 振り返って日本は、この見方からするとポピュリズムが幸か不幸か未成熟ということになる。または、政権批判はするが個人レベルの見識が行動をセーブしているということなら素晴らしいのだが。第2次大戦を世論が後押しした国民性を思うと、楽観できない。

・「コロナは風邪」論

 「コロナは風邪。大したことはない」という楽観論は、社会の影響が長引くにつれて分が悪くなった。この主張をよくよく聞くと、感染症としてのどのランクとみなすかということのようだ。

 指定感染症は1類から5類までのランクがあり、コロナや赤痢が「3類」なのに対し、新型コロナは「極めて危険」の「1類」に指定され、厳重警戒で入院隔離が必須として混乱を招いた。1類指定は、得体が知れなかった初動体制としては必要だったが、無症状や軽症もあって隔離の程度も幅があるので、見直すべきときがくる。

 風邪の場合、問題は風邪にかかることではなく重症化させないこと。となれば、それと対応が同じなら「コロナの風邪扱い」というのも理にかなっている。

・ウィルスとの共生

 新型コロナウィルスが出回って以来、急にウィルスというものに注目が集まったが、ウィルスそのものは急に現れたものではない。というより、ウィルスはDNAの破片由来で太古からあり、生物の進化に不可欠なものだったという。

 清潔を心がけるのは大事だが、潔癖症が過ぎて細菌やウィルスを全て除外するのはそもそも無理だ。「人間は結局排泄物製造機」というのは極論としても、自然の一部であり、「不潔な」自然の恵みの上に存続している。

 「不潔」を排除した究極は、映画のマトリックスのような、行動を禁じ人工的な栄養だけ与えられて生かされる(飼育される)世界が想像される。感染リスクゼロだが、それが理想と思うだろうか。そこまでいかなくてもテレワークを進めれば感染リスクは下がるが、テレワークにできない、自然(人工物以外のあらゆるもの)に関わる仕事に従事する多くの人達が必要なのを忘れてはならない。

 

 先行き不明ながら、今年は思いもかけずいろいろ勉強になった年になることだけは間違いない。

(2020.8.3)


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