東京はコロナで危ないって?

 朝の出勤中、最寄り駅のホームで、ふとマスクをし忘れたことに気づいて慌てて家に戻った。マスクが日常化して、意識しないとチェックしなくなっている。

 東京都が新型コロナウィルス感染再拡大の動き。正確には、増加しているのは感染「判明」者だが(さらに言えばPCR検査は新型コロナ以外もひっかかるというから新型コロナウィルス感染疑い判明者だが)、東京は人口が多い、というより生活様式が多様なので、一都民としては十把ひとからげにされるのは面白くない。地域による偏りも考えられる。よく「東京に行けば有名人に会えると思ったが会えなかった」と言われるように、感染者にもなかなか会えない。

 また、検査数が増えているので、判明者が増えたからと言って即危ういとも言えない。高齢者は自粛しているせいか、若い人の感染者が多いというが、無症状や軽症も多いのだろうか。感染者よりも重症者の数が気にかかる。実態は軽症者がほとんどだと聞いた。

 埼玉県知事が東京での飲食を避けるように発言したが、違和感がある。かつて3.11で福島県から避難してきた人達を「放射能がうつる」と非科学的な言いがかりで差別する人がいると聞いて情けなくなったのを思い出した。東京の飲食店というだけで十把ひとからげにするのは差別じゃないか?

 「接待を伴う飲食店」という言い方もざっくりで、必死に対策をとっている店もあるのを考えると、十把ひとからげは気の毒だ。埼玉県に対し神奈川県や千葉県は、東京と一蓮托生という連帯感があるが、やはり北関東は別地域ということか(あれっ、埼玉県はどっちだっけ)。

 いずれにしても一人一人の行動が大事。マスクが無意味だという批判があり、個人的には手洗い・洗顔を重視しているが、それでもマナーとしてマスクを付け続けている。マナーというのは、「ナイフは右手・フォークは左手」、「使い終わったらそろえて置く」というように、そうしなくてもいいながら周囲に不快感を与えない意味もある。海外でマスク着用の法制化に「自由の侵害」だと騒いでいたお姉さんがいたが、必要な場面で強制せざるをえないほどルーズな国民性を恥じるべきだし、幼児がわめいているように見えた。

 一方で、強制されなくても皆がマスクする日本人が大人かといえば、単なる同調傾向(右にならえ)の現れだという批判もある。マスクをしてないからとわざわざ近づいて注意する「マスク警察」は、近づいてしゃべることこそ感染防止上やってはいけない行為だから、分別ある大人というにはほど遠い。

 開放的な空間では状況をみてマスクを外すことも理性的な行動だが、外すとそのままに付け忘れるそそっかしい性格だと自覚しているので、あまり外さない。マスクを付け続けている理由の一つだ。

 ここまで書いてきて、SNSに関して気になるニュースを目にした。3月早々に医療現場の声としてPCR検査を増やすべきだと発言した医師が、政府批判とか反日とかの筋違いのバッシングを受けて発言をやめたという。医師の意見がSNSで紹介されるさいに、かってに政府批判の私見を追加され、それが拡散し一人歩きを始めたというのだ。医師のところまで押しかけて抗議した者もいるというから、伝聞はよくよく冷静に聞かないといけない。

 中国で、感染初期に警告を発した医師が当局から弾圧し口封じされたというのを聞いてひどい話だと思ったが、こちらも口封じで合理的な議論ができなくなったという点では同罪だ。むしろ、当局でなく不特定多数の得体のしれない圧力という点ではもっと不気味だし、厄介だ。

(2020.7.6)


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