「不要不急」な話

新型コロナウィルスの緊急事態宣言で、不要不急の外出は自粛しているが、「不要不急」という曖昧さが日本らしい。自宅勤務の毎日で、ワイドナショーから聞こえてくる(あくまで仕事中に「たまたま」聞こえてくる)話やら雑誌から、世間の常識となっている知識の意外な誤解が分かってきた。

・3密では不十分

 「濃厚接触」とか「3密を避ける」というのは、もはや常識となっているが、これは新型コロナが「ヒト-ヒト感染」(飛沫感染、空気感染)だからこその対策だ。このことが強調されすぎた結果、「他人に近づかなければ大丈夫」という誤解が生まれた。しかし、「ヒト-ヒト」というのは「動物からの感染」に対比してのことであり、実際は「ヒト-モノ-ヒト」という感染経路もある。つまり手洗いとか、人が触ったものの殺菌にこそ注意を払うべきとの指摘もある。マスクより「シュッシュ」を配るべきだったかもしれない。

・マスクの配布の誤解

 その布製マスクの配布が「目玉政策にしてはしょぼいし、実現が遅い」というのが常識的な論調となっている。この点も、どうやら誤解というか、マスコミのミスリードのようだ。元々は、医療機関や高齢者施設などへのマスク配布が主眼であり、余剰分を全世帯に配るということだった。早々に医療機関に配られたことは聞いたのだが、そのことの関連性の報道が少なかったのでピンとこなかった。一般家庭への配布はそもそも目玉ではなく、2枚では足りないと言う筋合いではなかった。

・何はなくともPCRって

 「PCR検査」ということばも一気に常識化した。当初、感染したかどうかの唯一の判定法ということで、「不安だから検査してくれ」ということになった。しかし抗体検査や抗原検査(この用語も一気に常識化)が出てきて、実は抗体検査こそが従来のインフルエンザ検査に対応するのだと知ることとなった。抗体検査が5,000円程度なのに対し、PCR検査ははるかに高価な検査で1〜2万円かかるというのも後からひっそり出てきた情報だ。保険適用とか言っても、国が負担するわけで、貴重な財源と、それ以上に貴重な人的資源を費やすことを思えば、個人レベルの安心(それもそのときだけ)のためにむやみに受けるべきものではないと思い知る。

・アビガンの副作用

 アビガンの「催奇形性」という副作用もさんざん喧伝された。そのため、これから子供をもうける世代には絶対適用できないという印象があり、「陽性と判明して、子供をあきらめるか、死を覚悟するかという究極の選択を迫られる」という場面を想像したりした。大分経ってから分かったが、これも誤解。この副作用は1週間程度という情報が、これもひっそり出てきた。安全をみて影響を長めにみたとしても、「生涯、子供をあきらめる」ということからは程遠い。マスコミが簡潔にまとめて報道するのはいいのだが、全てが右に倣え(あるいはパクリか)で肝心な情報が漏れ伝わってこないのは問題だ。

・規制が甘いのは誰のせい

 「日本の緊急事態措置は甘い」という批判があるが、よくよく聞けば、日本には、一時的に行動の自由を制限するような強権を行使する法律的な根拠が用意されていないのだそうだ。憲法の欠陥というべき。憲法記念日に、国会前で「この非常時のどさくさに憲法を変えようとする動きはけしからん」とアジっていたが、非常時に対応するためにこそ改憲論議が必要だと思えてくる。必要な事項を、制限条件と共に明確に規定していないということは、かえって暴走を招く危険性をはらんでいるように思える。

・中国の失敗

 感染が始まった当初、(これも今や常識化した)ロックダウンをした武漢を見て、その徹底ぶりに「さすがに共産独裁国家はすごい」と思ったものだが、結果から見れば失敗だった。何しろ封鎖を事前予告したものだから、クモの子を散らすように脱出者を増やしてかえって感染を広めてしまった。国民が政府を信用していないから、閉じ込められたら見殺しにされると思うからこそで、これもさすが共産独裁国家ゆえだ。

・「日本の情報操作」批判

 欧米では、日本の感染者数が少ないのは嘘をついているのではないかという報道もあった。そのくせ首相の会見には欧米記者は参加せず、気をきかせて?国内記者が振られ、その点の質疑応答があった。事情を知らずに会見の中継を見ていた身としては唐突の感はあったが、欧米のマスコミもいい加減なものだ。

・初期型の緩い感染が日本を救った?

 ウィルスは進化するので、同じ新型コロナウィルスでも初期の中国由来のものは比較的穏やかで、当初日本に入ってきたウィルスによって少し免疫ができたのでは という議論もある。中国からの入国規制が緩かったことは、結果的によかったのかもしれないというのだ。封鎖が早かった欧米の方がむしろ被害が大きいのを見ると、しょせん人の流れはゼロにはできず、ある程度の流入は覚悟して対策を考えることが肝要かもしれない。

・自粛警察の矛盾

 「自粛しないのはけしからん」というのも異様だ。「自ら決める」ことの「要請」について、強制しようというのは越権行為だ。本当の警察ならそんなことはしない。パチンコ店ばかりが話題になったが、「大型パチンコ店は換気がよくて、かえって安全」という指摘も聞いた。真偽のほどは不明だが、どうしても入り浸りたいというなら、泊まり込んでもらって、騒ぎが鎮まるまで店ごと隔離してしまえば皆がハッピーなのではないかと思ったりする。

・そもそも、「武漢カゼ」?

 当初の「ただの風邪にすぎない」という楽観論は、世界的な被害によって今や否定されている。その一方で、例年のインフルエンザに比べて脅威は小さいと評する少数意見も根強い。新型コロナの脅威に関する、拍子抜けするような都関係者(幹部)の認識も漏れ伝え聞いた。脅威と対策を強調しすぎた結果、今さら引くに引けないのだという。過剰な脅威論によって被害が拡大したというのだが、海外の死亡者(「死亡率」と「致死率」の違いも注意すべきだ)が多いのは、生活習慣の違いからか。「日本語は唾が飛びにくい言語だから」という説もある。

 脅威論については、福島原発事故の汚染水処理を思い出す。科学的には問題ない濃度でも、脅威を煽りすぎたために、健康被害より風評被害の方が大きくなって、身動きがとれなくなっている。新型コロナも、風評に惑わされず、感染対策は適度にとりつつ、過剰に恐れないことが肝要だ。

(2020.5.22)


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