中学校でのマジック講座

 今年で11回目になるが、某中学校で毎年1回開かれる「生涯教育講座」で「カードマジック入門」の講師を務めてきた。

 そもそもは当HPを見て依頼されたのが始まりで、年に何日もとっていない有給休暇を使って出向き、毎回30人程度の生徒にカード奇術の講習をしてきた。実際にやってみてできたときの楽しさや、家族や友達に見せる楽しさを知ってもらうことを第一に、やさしくて効果の高い演目4つを実習してもらう。

 当日は他にも様々な講座があるため毎年受講者はほとんど変わるし、長くても3年サイクルで同じことをやってもいいのだが、わが40余年の経験に加えMMCで1年間に紹介されたり自分なりに工夫した新作の中から選りすぐ講習内容と自負している。何より、タネがどうこうというよりも、隣人と一緒に面白がるという楽しみ方を知ってもらいたい。

 十年ひと昔というが、校長先生も3代替わり、当初は全講師と全校生徒を集めて開会式をしたり、校内ではすれ違う生徒に挨拶されたが、校風はだいぶ様変わりしている。

 毎年、終了数日後に、一人一人の感想文をいただくのだが、楽しんでもらったと知らされ、準備も含めた一連の苦労も吹き飛ぶ。一方で、おそらくちょっとしたことで「うまくいかなかった」というのを読むと、一日限りの限界を思い、忸怩たるものがある。「僕にできるんだから、あなたにだってできますよ」(注)と伝えたい。

 逆に、「講習内容は全て知っていた」という感想もあった。演目の由来を考えるとありえないことなのだが、要は「知ってる、知ってる現象」だろう。高木先生がよくおっしゃっていたが、奇術を見せたときに「それ、知ってる、知ってる!」という観客がいるが、それは「同じ現象の奇術を見たことがある」ということなので、たじろぐ必要はないというのだ。

 今回は、ある程度カード奇術を知っていて、ある技法を自慢げに見せてくれた生徒がいた。オーソドックスな方法ながら、エチケットとして感心したところ、感想文に、私が知らなかったようだ、と得意げに書いてきた。ずいぶん見くびられたものだが、それはともかく、奇術の表層だけなぞって「こんなものか」と思われたのではないかという不安が残る。

 カードに限らず奇術は、人の心理を相手にするので、実に奥深い。現象のためには手段も道具も選ばないので、バリエーションは無数だ。「XX個の奇術ができます」というふうに、レパートリーの数を自慢するのは初心者だと思う。そういうお前のレパートリーはいくつだ、と問われれば、「そこそここなせるのはいくつかあるが、真の意味ではどれも未完成」と答えることにしている。

 演目については、数理的なセルフワーキングを多用して「そんなものばかり」と言われたことがあるし、ならばとちょっと技巧を取り入れれば脱落(というかあきらめてしまう)者が出るし。正解はないのだろうが、試行錯誤が続く。講習するということそのものが、奇術に負けず奥が深い。

(注)これは、手塚治虫氏のことばで最近ドラマでも紹介され、励まされたという感想もある一方、「天才の手塚氏が凡人に言うからこそ面白いのだ」という声もある。しかし、自分にはできないと鼻からあきらめることは、かの西郷隆盛も「戦いに臨みて逃ぐるるより、なお卑怯なり」と言っているそうで(磯田道史氏「日本人の叡智」)、何事によらず、まずはやってみようよと言いたい。

(2013.9.29)


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