AIに忖度はあるか

 AIによる作画によって、原作の著作権侵害が問題となっている。AIが学習するときに参照した絵に似てしまうのは当然と言えば当然。思えば、創作の前に見てきたイメージが作品に投影されるのは、AIに限ったことではない。絵画に限らず、漫画も小説もそうだし、音楽もそうだ。(つねづね「インスパイアされた」というのと、「パクった」というのの違いがよくわからない。そういう場合、主張できるオリジナリティとは何パーセントなのか)

 AIが拠り所として参考にするサンプルが少ないほど、原画に似たものになるのは当たり前で、逆に言えば原画に似るということは、他に類を見ない際立った独創性が原画にはあったということかもしれない。 (著作権を侵害された当人には何の慰めにもならないだろうが)

 サンプルが少ないときのAIの弱さというと、不良品の検定もそうだ。AIに製品の合否判定をさせようとするとき、膨大な不良品を学習させる必要があるのだが、そのサンプルを集めるのが大変だという。今後は、皮肉にも粗悪品を作る工場の方が重宝されるかもしれない。

 そんな想像をしていたら、著作権侵害で訴えられる事例が増えてくれば、それをAIに学習させればいいのではないかと思えてきた。「参考」にして作品を制作するさい、訴えられないような変更を加えることをAIが覚えてくれるかもしれない。それこそ得意そうだ。ますます人間の著作権とはどういうものかということが問われる。

 AIが生成したものは、例えばAIアナウンサーによるニュースの朗読のように「人間味がない」という批判がある。人間アナウンサーの出番はまだあるのだという論法となるが、読み間違えたり、つい感情がこもってしまったりという「人間味」も、AIが学習してしまうかもしれない。つまり、「ここはちょっと言葉をつまらせた方がうけがいい」などとあざといワザを習得してしまったら・・・などと暗い未来を想像してしまう。

 もう一つ、「AIには創作力、オリジナリティがない」という楽観論がある。しかし人間のオリジナリティというのも不安を感じる。マジックの場合、全く新しいものというのは まれで、ちょっとした工夫や焼き直しに個性を加えて目新しい演技となる。その程度はAIでも学習してしまうかもしれない。下手すると、人間の心理を探求して「全く新しいもの」を生み出してしまうかもしれない。

 今では将棋もAIによる手筋の研究が常識だそうで、羽生さんが藤井さんに挑戦した中で勝った一局は、AI学習を逆手にとって「ありえない」手を指して、未開の手順に引き込んだおかげだという話を聞いた。大げさに言えば、AIに打ち勝つ人間側の独創性を感じる。

 裏をかくというのはマジックの世界でもままあって、事情通にはうけるが、王道とはいえない。そういうひねくれたところしか、人間の活路が残されないとしたら、少し寂しい。そのうち、その辺までAIが忖度して余地を残してくれるかもしれない。

 (2023.5.5)


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