INOUT

 地下鉄の出口で歩道への階段を上がってくると、普段見えないものが目にはいる。ビルの足元あたりにある送水口もその一つ。その隣に採水口もあった。送水と採水、ビルの外に立った人の視点で考えるのか、ビル自身の視点で考えるのかで、意味合いが逆になるとふと疑問に思った。立場によっては水の流れる方向が逆になる。どちらがどちらなのか、決め事なので、専門家にしてみれば当たり前なのだろうが、素人としては自明ではない。

 「出入口」に方向のあるものとしては、空港の出発口と到着口がある。昔の地図を見ると、東京駅にも乗車口と降車口の区別が記されていた。今では、人の流れを定めた入口と出口の区別は、改札機のわずかな範囲にしかなく、例えばその周辺の空間は北口とか南口と呼んで流れの方向性は定めていない。ところが、JRの駅で、案内の英語表記が、EXITとENTRANCEというように、しっかり区別しているのを見かけ、おやっと思った。日本語の出口と入口に対応する単語はあるのだが、出入口という単語のあたるものはないのだろうか。同じ北口という場所を指しているのに、ホーム側からの案内表記と、外側からの案内表記が変わっていた。

 そう思って地下鉄の案内を注意してみたら、GATEになっていた。地下鉄では改札を抜けた後、さらにしばらく歩いて地上へ出る部分がはじめてEXITなので、なるほど、改札を出たところが出口であるJRなどとは違うわけだ。

 話は変わって人体。位相幾何学では、人体を口から胃腸を抜けて肛門に至る「管」と考えて、ドーナツ型とみなす捉え方がある。細胞レベルまで考えれば穴だらけで、話はそんなに簡単ではなくなる。人体を立体形状としてどのレベルまで細かく見るかによって違ってくる。

 ところで、(家内が助産師をしている関係で、我が家では日常的に子宮口などという単語が聞かれるのだが、)妊婦や夫を対象としたパパママ教室では子宮の出口とか入口とかいう呼び方がされる。どっちか統一しろと思ったが、通過する「もの」の方向によって変わってくるわけで、これも立場の相違による。言ってみれば、「女」としては入口であり、「母」(や胎児)としては出口であるわけか。そうすると、単語を使うときの意識の問題。

(2006.12.12)


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