B・G・M

 区営プールのBGMに映画「タイタニック」のテーマがかかっていた。曲そのものはムードたっぷりのヒット曲だし、海を連想させるので、いかにもふさわしいのだが、意味を考えると怖い。「タイタニック」は、要するに主人公の青年が乗っていた客船が沈没して冷たい海に溺れてしまうという話。プールで練習している初心者が、プールのまん中でそこまで思い出すと不安になるのではないか(普通はそこまで思い至らないだろうが)

 BGMではないが、同じようなことをユナイテッド航空で経験した。かつて、そのころ封切直後だった「メンフィスビル」を機内で上映していて、丁度見たかったこともあって結構見入った。この映画は第二次大戦の爆撃機の話で、僚機が次々撃墜され、主人公の機も被弾してヨレヨレになりながらも高空を進んでいくシーンがあり、ふと自分の足元も似たように危ういのだと思い至った。そういう映画を上映する航空会社もなかなか大したものだと、妙に感心した。

 手品というと必ず例のポールモーリアの曲(チャラララララー)を誰もが口ずさむ。一説では松旭斎すみゑ師匠がBGMに使ったのが始まりだそうだが、手品といえばこの曲という常識ができてしまった。この場合も、曲そのものには恨みはないが、BGMに使うことは芸が十年一日で進歩がない陳腐なものと言われている感じがして、個人的には嫌だ。余興で奇術をするときに、気を利かしてこの曲をかけてくれることがあるが、できれば丁重に辞退したい。

 奇術のBGMで印象的なのはフレッド・カプスの塩の演技だろう。手の中に消えた塩が、(宙を掴むと)再び手の中から出てくる。さっと手を振り下ろし、曲も終り、決まった・・・と思いきや、まだ手から塩が出続ける。演者は曲を繰り返すように楽屋に催促し、演技を繰り返す・・・というコミカルなものだ。あまりに面白いので、安易に真似をして、観客に「音楽の係とうまくタイミングが合いませんでしたね」と気の毒がられたという失敗段を聞いた。タネはシンプルなのだが、「自分は終わりたいのに意に相違して後から後から塩が出てくる」という表現は、思いのほかに難しいのだろう。奇術はタネではない。20世紀一流のパフォーマーたるフレッド・カプスならではの逸品といえる。

 発表会の伴奏といえば、良く練習した演技者は録音した音楽に演技をぴったり合わせている。それはそれで感心するが、見方によっては奇術が音楽の添えものになっている。随分昔になるが、MMCでは発表会にプロの生バンドを雇い入れていたことがあった。演技の雰囲気に曲を合わせてくれて、演技がもたついても演奏の方で合わせてくれ、安心して演技できたものだ。今から思えばぜいたくなものだが、アドリブで演目を変える、とまでいかなくとも、観客の反応に応じて当意即妙にテンポを変えるところが、生の演技の醍醐味だろう。とすれば、あまりに音楽に振り回されるのも考えものだ。

 時代を下り、カセットテープが普及してからは、(意気込みも薄れ)MMCの発表会の伴奏は全て録音テープになった。司会が「どうぞ!」と言った後、テープの音楽がなかなか始まらないと、白けるものだが、故梶谷耕一郎氏はその辺に凝った。わざわざオープンリールテープに写して手回しし、ぴたりと頭出しができるカセットテープを、出演者全員分用意した。今ならMDで頭出しはわけなくなったのを思うと、これも昔の話だ。

 恩師高木先生はクロースアップ奇術が多かったせいか、BGMにはこだわらず、クラブの発表会に出演いただいたときも「曲は適当にかけておいて」という感じだった。ただし、ポーカーチップのテーブル奇術でBGMをかけて無言で演じるルーチンを組まれたときは、ビートルズの「ヘイジュード」を持ち歩いておられた。そのため、この曲が高木先生のBGMという印象が強い。ところでこの曲は、ジョン・レノンが息子のジュリアンに向けて作ったもので、元々「ヘイ、ジュール」というべきを、語呂で「ヘイジュード」になったという。「ヘイ、ジュール」は「ヘイ、ジューロー」(高木先生のお名前の音読み)に通じ、まんざら無関係でもない。 (2001.7.15&9.17)


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