田中先生の思い出 [4]  (奥村 清志)

世界的教養人

 愛光に入学すると、中1生を対象にして、週に1時間田中校長自らの授業があった。内容は、簡単にいえば愛光精神の涵養である。

 最初は「われらの信条」を解説し、それを暗記させることから始まる。5月の中間試験には、「われらの信条全文を書け」というのが必ず出題される。

われらの信条

 われらは、世界的教養人としての深い知性と、高い徳性を磨かんとする、学徒の集まりである。
 学問に対する情熱と、道義に対する渇望とは、われらの生命である。
 幾千年にわたる、人類苦心の業績、この高貴なるものに寄せる愛情と尊敬、これを学びとるための勤勉と誠実、これを伝え、これに寄与するための忍耐と勇気とは、われら学徒の本分である。
 かくて、高貴なる普遍的教養を体得して、世界に愛と光を増し加えんこと、これがわれらの願いである。
 輝く知性と曇りなき愛
愛(Amor)と光(Lumen)の使徒たらんこと!
これが、われらの信条である。
 われらの信条は、1953年の第1回入学試験当日、徹夜して夜を明かした田中先生が、東の空のほんのりと白みかかってきた早暁、夜来の大雪で純白に染まったグラウンドを万感の思いで眺めながら、一気に書き上げた愛光精神の象徴である。

 格調高い文章であろう。が、中1生とってはまさに豚に真珠。あまりに難解で、意味のわからぬお経を読むのと何ら違いがなかった。

 いきなり冒頭に「世界的教養人」というのが出てくる。これはどうやら田中先生が愛光生に託した理想の人間像であるらしく、建学の精神のキーワードともいうべきものである。しかし、さてその意味はというと、どのようにでも解釈できそうで、中1生はおろか、愛光関係者の誰にとっても、いまだに「これがその真意だ」と明快に説明できる人はいないと言える。

 田中先生がこれを中1生にどのように解説されていたのか、今となっては記憶を探ることもできない。ただ少なくとも、「学問の道で世界をまたにかけて活躍する人」などという、矮小化された説明をされていたはずはない。だけど案外、田中先生の頭の奥底には、そのような人間を作り出したいという願望が根強く渦巻いていたはずだと、私は確信に近く考えている。「世界的名声を勝ち得た学者」と、さらにイメージを尖鋭化させてもよい。

 田中先生が「勤勉、忍耐、誠実、勇気」を語るときには、いつでもそのような「平凡ならざる学究者」のイメージが揺曳している。これは先生の書かれた文章や、卒業式式辞を丹念に読めば、おのずと浮かび上がってくる印象である。

 いわゆる通常にイメージされる「教養」とは、少し意味するところが違うのである。少なくとも、大学で「一般教養」というときに学生がイメージする教養とは明らかに違う。

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 田中先生の書かれたものの総体から「田中忠夫氏像」を描出する試みは、私の次の仕事にとっておきたいので、ここでその詳細を述べるつもりはない。ここでは次の一点だけを明らかにしておきたい。すなわち、田中先生がわれらの信条の冒頭でいきなり「世界的教養人」なる特異な語を用いたことを、ものを書くときに働く一般的な心理に従って考察してみるとき、先生がこの言葉に愛光精神を象徴させる特別の任を与える意志を当初から持っていたことはほぼ疑いない事実となり、しかもそれが、単なるその場の思いつきではなく、先生のそれまでの長い思索体験の蓄積を背景とした言葉であったことも明らかとなろう。

 まだ一人の生徒も入学していない空洞の愛光学園に、「世界的教養人」なる象徴的言葉が、凛としてこだましていたことを想像すると、何だか厳粛な気分になる。

 先生の思想体験とその蓄積過程は、カトリック・キリスト教との出会い、およびドイツ留学を契機とした古典的ドイツ精神との邂逅に要約できる。両者の共通項として、先生にとってはヒルティが重要な位置を占めたのである。ヒルティは哲学者ではない。専門は法律家なのだが、幼い頃から培った禁欲的で敬虔なキリスト教精神をもとに「幸福論」や「眠られぬ夜のために」を書いた。それらは道徳的警句集に近い内容であって、哲学書を期待してかつてそれらを手にした私は、少しがっかりした記憶がある。

 その中で語られる教養、勤勉、高貴さなどが、田中先生自身のもつ敬虔な宗教性、学問へのひたむきな憧憬、質実で無欲な向上心などと完全に共鳴しあったのであった。

 田中先生が「教養人」と言うときには、ヒルティが教養の条件とした、勤勉、高貴、精神的向上心といったものが、常に底流をなして意識されているのである。単なる物知りを教養人と呼んでいるのではない。結果としての知識量ではなく、「精神的に向上する意欲をもち、現に向上する過程をたどっている人」というのが、教養人の最低条件なのである。

 教養人という言葉は、その言葉自体いかにもドイツ的である。少なくとも私にはそう思える。ゲーテの「ウィルヘルム・マイスター」における教養、田中先生にとっては異端の極ともいえるニーチェが、「ツァラトゥストラ」で語る教養など。教養を結果で見ず、過程で見る志向がドイツ的なのかもしれない。なお、日本人が「教養人」なる言葉を使い、それについて論じているのを私が見たのは、河合栄治郎の「学生に与う」ただ1冊である。

 「世界的」の方は、「世界に羽ばたく」という意味と「世界から吸収する」という意味の両面が考えられ、田中先生においてはさらに、当時盛んに議論されていた「世界国家の理想」が念頭にあったようにも思われる。

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 ともかくこうした「世界的教養人」が中1生に熱っぽく語られるのが、先生の授業であった。よくは理解できないが、彼らはそこからある一つの香りを味わうことができた。学ぶことの神聖さと厳しさ、それが生きることの神聖さと厳しさに直結するものであること、人類の歴史の底にはいつもそうしたものが流れていたこと、など。人類の精神的歩みにおける過去から今日までのもろもろの堆積物がかもす、古風かもしれないがえもいわれぬ心地よい香りが、先生の口から漂っていたのである。

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愛媛県松山市在住 奥村清志
愛光学園勤務
メール : koko@mxw.mesh.ne.jp