私の父、浜野誠一は去る9月29日に亡くなりました。生前、皆様より賜りましたご厚情に感謝申し上げます。
父の生涯を振り返りますと、「憎まれっ子何とやら」で、言いたいことを言い、幸せな人生でありました。 それを煙たがる方もいれば、噛めば噛むほど味が出るスルメのようだと評した方もいました。
とても多趣味な人で、マージャン、囲碁、奇術(マジック)、俳句、ドライブ、日食ツアーなど、それぞれ相当に凝りましたが、 それらに一貫していたのは、(例えば、勝負事でも勝ち負けなどではなく)「隣人と共に楽しむ」ということであったと思います。
奇術に関しては、柴田直光さんの薫陶を受け、同氏の紹介で若き日の高木重朗氏と出会い、その後昭和34年に仲間と共にマジック・マニアズ・サークル(MMC) を設立。以降、高木会長の下、長く幹事役として「来る者は拒まず、去る者は追わず」の自然体で会を支えました。 MMCの会則で言いたかったのは「本会の目的は奇術を人生の伴侶とし隣人と共にその憩いを楽しむ事にある」という一文だと語っていました。
MMCの発表会では、当然のように道具を改良・自作し、例えばステージ上をハンカチが飛び回る「ダンシングハンカチ」では、 事務所の応接テーブルに大穴をあけ、一抱えもあるフラスコを(これも細工して)取り付けていたのが思い出されます。 石膏で巨大な卵を作り、クライマックスでこれを出現させ、かなづちで割って見せて、中から犬のおもちゃが出てくる・・・という 突拍子もないものもありました(で、何のマジックだったっけ?)
そんな父が病床で最後に手振りで残したメッセージは「みんなを愛している」ということでした。
これは、人生で出会った皆さんへの敬愛の念であったと思います。
楽しい人生を送らせていただきましたことを、皆様に厚くお礼申し上げます
(2005.10.7 浜野明千宏)
ハートのA ある喫茶店で
ハートの2 ある発表会の客席で
ハートの3 その発表会の楽屋で
年表
辞世 矮星(ほし)伴れて 千々七彩や シャボン玉 鬼市