カマラ・ハリスとAIの限界

 今話題の大統領候補とAIの共通点に気づいてしまった。 といっても、カマラ・ハリス候補の話し方がロボットみたいだというのではない。  

 まず、AI。生成AIなど、いろいろな実用分野への応用が話題となっているが、 エンジニアリング分野に限っては、一時の期待感は薄れてきている。 端的には「内挿をするだけで外挿はできない」ということで、 今まで人間が積み重ねてきた経験を学習して答を出すことはできるが、 それを越えた新たなものは出てこないというのだ。

 「生成AI」が役に立つといっても、過去の事例から汲み取るだけで、「模倣AI」だ。 だから模倣された側からは著作権の疑義が出てくる。

 模倣は模倣で価値はある。 私の趣味の手品で言えば、「新作」といっても過去のアイデアの組合せが多い。 それはそれで目新しいものではあるが、独創的な現象というものは そうそう生まれるものではない。

 AI、すなわち「人工知能」といえば、私の世代は鉄腕アトムを思い浮かべる。 それに比べると、「模倣AI」ごときがAIを名乗るのはおこがましい。 (ところで、アトムに独創性があったのか?)

 このような「限界」について、似たような話をどこかで聞いたと思ったら、アメリカ大統領候補のカマラ・ハリスとドナルド・J・トランプの比較だった。

 破天荒なトランプの対立候補として、現役大統領に代わってカマラ・ハリスが出てきたときは世界平和のためにほっとしたが、話はそう単純ではないようだ。 トランプ退陣後の様々な世界動乱は、何をしでかすか分からないトランプという重しがとれたため という見方がある。 手ぬるいバイデンが舐められたために、プーチンが暴走し、ネタニアフもやりたい放題。 痛ましい被害を被っている民衆こそいい迷惑だ。

 トランプに比べればカマラ・ハリスは自制的な行動をとるとみられるが、検察出身であるためにルールに忠実で、行動は手続きを踏むだろうが、何をするかが見透かされてしまうことになる。 平和な時は大切なことだが、戦乱の時にはときとして手続き無視の決断が必要となる。 それができないというのは、「模倣AI」と同じ限界といえる。

 (2024.10.12)


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